ライアン・クーグラー監督のインタビュー

NYのヒップホップラジオ局HOT97にクーグラー監督がゲスト出演した時のインタビューは、監督のアフリカ系アメリカ人としてのルーツに切り込んでいく内容でとても面白かった。(ブラックパンサーのネタバレしています)

 

 

(以下インタビューより抜粋)

「フルートベール駅で」を監督した時、「なぜこんなことが起きてしまったのか」という疑問を作品にぶつけたように、「何かに対して深く知りたい」と思った時、より効果的に作品作りができる。ブラックパンサーでは「アフリカ人である、ということにどんな意味があるのだろう」という疑問が中心にあった。今もその答えを得てはいないけど、今まで関わったどんなプロジェクトよりも一番核心に近づけたと思っている。

アフリカ系アメリカ人は、自分たちとアフリカの間を隔てる距離にたくさんのやりきれない思いを抱えている。自分たちのルーツがアフリカのどの地域、どのトライブ(部族)であったのかもう知る由も無い。長い歴史の中で多くのものが失われ「アフリカとのつながりをなくした」と言われていたし、自分もそれを信じていた。アフリカ行くまでは。

映画を監督するにあたり初めてアフリカを訪れ、たまたま現地の人が開く儀式のようなものに参加する機会を得た。その儀式に集まる人たちの様子、男性たちの集まりや、女性たち、若者、子供、みんな行動が自分の地元の家族の様子ととてもよく似ているのでびっくりしていたら(現地の人に)「当たり前だよ、だってあなたはアフリカ人だから。なんで途切れたと思ってるか知らないけど、これは何千年もずっとやっていることだから」と言われた。

完全に失われたと思っていた自分とアフリカとの接点、それは家族が受け継いでくれていたものだった。子供の頃、おばあちゃんが、テキサスから逃れてオークランドに移り住んできた時のことを話してくれたことを覚えてる、そんな風に日常で語られる物語の中にアフリカとのつながりがずっとあったんだということに気づき、家族へ感謝の気持ちが湧いた。

(意訳)

 

 

このインタビューを聞いてると、お母さん、お父さんと早くに別れ、自分の故郷について聞く機会を失ってしまった彼の事考えて、胸がぎゅっとする。